私は芸術的センスには乏しい人間なのですがクリスマスになると毎年この写真のオーナメントを飾っています。最近では芸術的センスなんてものはあまり気にならなくなりました。私自身愛着が沸いてきて飾るのが毎年の恒例行事になってます。それこそ私が幼い頃に海外に住んでいた時はこのシーズンは各家庭の飾りつけが華やかで出歩くだけでウキウキした気分になったものです。今、私が住んでいる地域でも家々でさり気なく飾りつけがなされており、見るだけで嬉しい気分になります。日本は派手派手しさはないものの、可愛いものが多く、これはこれで素敵だな、と楽しんでます。
嬉しい気分になれるシーズンなのにここの所、少し落ち込む事がありました。原因は大した事でありません。「こんな事、予想していたし!」と自分に言い聞かせていました。所が思わぬ(?)所に影響が及んでいたのです。普段なら受け流せる事を受け流せず息子とギスギスした会話をしてしまいました。因みに私は息子は二人おりますが、長男は大学の為に一人暮しをしており、今は次男(高校2年)と夫と私の3人暮らです。家族とギスギスした雰囲気になってしまった時、どの様に状況を打開しますか?本当に嫌などんよりした気分になりますよね。
困った状況を打開する方法は人それぞれです。例えばパッと思いつくだけでも「美味しい物を食べる」、「お酒を飲んで発散する」、「ひたすら運動して汗を流す」、「瞑想する」、(お勧めできませんが)「物や人にあたる」、「バラエティー番組等笑える物をみる」、「感動的なストーリーを読んだり、見たりする」、「人に愚痴を聞いてもらう」、など様々あります。人によってはいつもこうしているという方法があるのではないでしょうか?私は実は「人に愚痴を聞いてもらう」というのが大変苦手です。「人から愚痴を言われる」機会はものすごくあるのですが、言う事はすんなり出来ないんです。
「人に愚痴を聞いてもらう」というのは「弱音を吐く」という事です。よほど相手を信頼していないと出来ません。ですので自分はよく「人に愚痴を言う」という人がいたら、あなたは信頼できる人がいる、という事です。とても素晴らしいです。弱い自分を受け入れてもらえると思っていないと弱音なんて吐けませんよね。私は近年、ようやく少しずつですが「人に弱音」を吐ける様になりました。弱音を吐けるようになってから気が付きましたが私は自分が愚痴を言って相手を嫌な気持ちにさせてしまうのが嫌だったのです。人によっては聞くだけでも嫌な気分になってしまう事もあるので相手にそんな思いをさせてしまうのを気にしていました。
しかし、その心配は必ずしも周りの人と自分に良い影響を及ぼすとは限りません。出来ない事は出来ない、嫌な事は嫌だ、凹んでいる時は素直に今、自分は凹んでいるんだと思っていいんです。そういうふうな自分を認める事こそが、自分を労わる事になります。そしてそれを周囲の信頼できる人間に言う、それだけでよかったんですね。誰のせいでもないけどそういう気持ちになってしまう事もあるでしょう。それは誰にでもあります。自分で自分を労わってこそ、人からも、そして、人をも労わる事ができます。
因みに我が家は今はまた穏やかな日々に戻りました。ギスギスしたのは誰のせい?誰のせいもありません。では誰のお陰で元に戻ったのか?それは、お互いのお陰です。
2024年12月11日 レジリエンス・ラボ ウチダ 内田早恵


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