私は以前にも書きましたが自分の意見を言うのが苦手でした😅小学校の頃からクラスで手を挙げて発言する子ではなかったです。今でいう「友達親子👪」みたいな親子関係ではありませんでした。家庭でも、学校でも相手の顔色をうかがいながら話をするという術がいつの間にか身に付きました。それが乗じて自分の気持ちを表に出さずに人に合わせるのが上手くなりました。それは仕事上では役に立つスキルになったのですが困った事もありました😓
大人になると人に合わせるのが上手い私、人の話を聞くのが上手な(大人しい)私はコミュニケーション能力が高いと評価されました。なので、いざ私が自分の意見を言うと大抵はイメージと違うと受け止められたようです。 例えば、どんな仕事でも愛想よく引き受けていた私が「それが流石に出来ません😟」と主張しても「出来るでしょう!」とごり押しされたり、出来ない理由を考慮してくれない事は多々ありました。
職場のみならず家族であっても言いたい事を素直にいえないという事は日常的にもよくあります。親が一方的に決めつけてしまい子供の意見を封じる、良かれと思って言っていても知らず知らずの内に子供を抑圧してしまう事はあります。または子供も親を喜ばせたいが故に親に反論しないという事もあるでしょう。言いたい事を感情的に言えばいいというわけではないのですが言いたい事を我慢するのはストレスになります。
相手の言う事を「理解する」、という事と「納得する」という事は全く違います。「理解」するというのは相手の言い分を知る事、把握する事です。納得するのは理解した上で相手の言い分を受け入れるという事です。相手の言い分は理解するけど、納得できないという事は日常的にあって当然です。良いコミュニケーションは互いの意見や立場を「理解」した上でないと成り立ちません。「理解」するというプロセスを抜かして相手を納得させようとしても実りある会話は出来ません。
自分の言い分に耳を傾けてもらえないと自分が無価値とされているような気分になります。それは大人であっても子供であっても同じ様に感じるのではないかと思ってます。良いコミュニケーションというのは個人個人の意見が言える環境を整える人、自分の意見を言う人、双方がよいバランスでを保っているからこそ成り立つのです。
どちらが欠けても良いコミュニケーションは成り立ちません。整える側であっても、主張する側であっても一人一人の存在が大切である事に間違いありません。
レジリエンスラボ ウチダ 内田早恵 2025年6月7日


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