復学した大学で「20世紀における戦争史」という科目を受講しました。講師は西洋人、アジア系留学生で受講しているのは私以外はほとんどいない、という状況でした。
日本で「歴史教育」といえば、「第二次世界大戦」「広島・長崎原爆投下」「沖縄ひめゆり学徒隊」「東京大空襲」といった悲惨さや平和の尊さを伝えるものが主流です。私自身も幼い頃から何度も目にし、耳にしてきました。
ところが、カナダの大学の「20世紀における戦争史」の授業内容はそれとはあまりにもかけ離れたものでした。
「自分の祖父が○○で参戦した」
「○○大作戦の時は自分の出身国○○は影の立役者だった」
そういう話がポンポン出てきて衝撃をうけたものです。
この科目の目的は、そもそも日本のような「平和教育」ではありません。そのため、肩身の狭い思いをすることはなかったものの、「一つの歴史的出来事でも、立場が違えば見える角度や景色が全く異なるのだ」と強く実感しました。
8/9の朝日新聞の天声人語 長崎忌と平和教育 で長崎で小学校教諭を務めた男性の話が掲載されていました。若い世代に長年「平和教育」を届けてきた教諭だからこその、深い思いと視点が綴られています。
その中で「なぜ」が生まれると「過去」を考え、その思考が「未来」に向く、とありました。私が昨今違和感を感じていたモヤモヤ感の回答を得たような気がしました。
「同じ過ちを繰り返さない」
「良い未来の種をまく」
この考えに行き着くには過去と向き合わずにはいられません。過去は関係ないものではないのです。良い過去も悪い過去も自分の一部として捉え、それを良い未来の礎にする、それこそが根本ではないか、と感じました。
会ったこともない私の「伯父」は広島の原爆で亡くなりました。
今の幸せを有難く享受して無念の思いで亡くなった全ての人の冥福をお祈りいたします。

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